プロポーズ

2009年07月04日 21:54

こういうことを自分で言うのはアレだけど、男性の患者さんの何人かはいつも会うと「きれいねえ!」と声をかけてくれる。

最初はどうやって対応すればいいのか分からなかった。なぜなら、「きれいねえ」の言葉が本気なのか、病気が言わせているのか分からなかったからだ。しかし、ある先生の言葉をきいて納得した。

その先生曰く、ルーシーはその患者さんにとっては、その角度から見ると美人である。でも、木村拓也はどの角度から見ても、誰がみても男前だというのだ。

つまり、その患者さんにとって、ルーシーは美人という認識があるのだから、その患者さんが病気でも言葉に偽りはない。だから「きれいねえ」といわれたら、素直に喜べはいい。

ぼくは、ある患者さんからいつも「先生、おつかれさん」「よう働くねえ」ってねぎらわれたら、心からほっとする。

という話をうかがった。それをきいて、妙に納得した。

それ以来、わたしは「お姉さん、きれいねえ。かっこええねえ」と言ってくれるAさんやBさんの言葉を真に受けて喜んでいる。

あるとき、Aさんが

「いつもきれいねえ、かっこええねえ。なあ、僕と結婚してよ!」

と言ってきた。なにい、けっこん?

「だって、Aさんカノジョいるじゃない」

と返した。そう、Aさんは入院患者の女性といつもくっついていている。

「いやあ、あのこなあ、退院したんや。だから、オレ、フリーやで。なあ、結婚してよ」

ときたもんだ。うーん・・・。

「なあ、結婚してよ。オレ、絶対、まじめに働くから。絶対、苦労させへんから。なあ!」

と熱心に大きな声でみんなの前で口説いてくれる。恥ずかしい。看護師さんたちが笑っている。

本気できいているわけではないが、「まじめに働くから。苦労させへんから」の言葉に思わずホロリとくる。

Aさんは私と会うたびにプロポーズをしてくれる。ときどき、相手をするのが面倒になり、Aさんを見かけると、きびすを返して別の方向に行くこともある。でも、気分が沈んでいるときや、いまひとつパッとしないときはAさんの姿を探す。そして、ほめちぎられて元気になる。これじゃあ、どっちが患者なのか分からない。


女医さん

2009年07月04日 10:07

私は女医さんが好き。

理由は体のことを率直に相談できるからというのもあるけど、ほんとうの理由はもっと単純で、かっこいいから。

職業に貴賎はない。しかし、プロフェッショナルであることの頂にいるのが、私のなかでは医師と弁護士なので身近な女医さんには素直に憧れるのだ。

さて、今日は産婦人科に検診にいった。この人も女医さんで数年来のおつきあいである。

やさしいおばあちゃんのようにも見えるし、おばちゃんのようにも見える開業医さんだ。クリニックはご自身と看護師さんが一人と事務員さんが二人。家庭的なクリニックなので敷居が低い。

先生と世間話をしているときに開業されてから40年、ということをうかがった。

40年!じゃあ、この先生はいくつだ?30歳で開業したとしても70歳か。すごいなー。

「私もそろそろお迎えが近いから」

なんておっしゃるが、なんのなんの。お肌もつやつやしているし、身のこなしも軽くまだまだ元気。

曰く「これしかできないから。医者なんてつぶしもきかないし、他に何もできないしねえ」

そんなことを思っておられたのか。そういえば、うちの女医さんも似たようなことを言っていたなあ。

そして、その産婦人科の女医さんは続ける。

「リタイアしたらどうしましょうねえ」

「先生、占いとか人生相談とかの看板を出すのはどうですか」

思いつきで口にしたが、これはわれながらいいアイデアだと思った。女性の悩みは体のことや男と切っても切り離せない。だとすると、リタイアした産婦人科医にはうってつけではないだろうか。

すると先生も気にいったようで

「そうね、占いはともかくとして、駆け込み寺はいいかも・・・」

ということだった。しかし、駆け込み寺よりも、こうやって気軽に相談できる先生には一日でも長く看板をあげておいていただきたい、と切に思った。

以前はお産もクリニックで受けておられたようだが、最近はお産はしていない、ということ。後を継がれる方がおられないのかもしれない。とても残念に思う。べつに、出産の予定があるわけではないのだけれど。














「ウェブはバカと暇人のもの 現場からのネット敗北宣言」

2009年07月03日 21:25

中川淳一郎著「ウェブはバカと暇人のもの 現場からのネット敗北宣言」

すごくおもしろい。

今までインターネットに対して感じていた不信感や違和感などが、この本を読んですっきりした。そうか、そうだったのか、と目の前が開けた感じです。

著者は「とあるニュースサイトの編集をフリーランスでやっている」「ネット着けの毎日」を送っている人である。そして、「ネットの恩恵を最大限に受けながらも・・(中略)・・・ネットに対して妙な気持ち悪さを常に抱いている」という。

著者は掲示板やブログの炎上、テレビとの関係、広告媒体としての利用、その他について非常に冷静に分析している。

で、結局、ネットはバカと暇人のもの、というのは過激なタイトルのようだけど、非常に的を射た表現であるということが分かった。

結論は「ネットに過度な幻想を持つのはやめよう」

「私たちの人生、なんとリアルな場の占める割合が多いのだろうか。これら人生の大部分を占める要素にネットはどれだけ入りこめたのか。

大したことはない。

かなり入りこまれている人はヤバい。

もう少し外に出て人に会ったほうがいい。
なぜなら、ネットはもう進化しないし、ネットはあなたの人生を変えないから」

という、「ふりだしにもどる」みたいな結論だけど、ネットの恩恵を最大に受けている著者の言う言葉には説得力があった。

私の息抜きのためのブログを読んでくださる皆様はバカでも暇人でもないはずですが、ぜひ、一度、この本を読まれることをお勧めします。



ちゃーりーのおもちゃ箱 ギリシア編

2009年07月03日 20:57

ギリシア
ちゃーりーのおもちゃ箱 ギリシア編 が始まりました。ご覧ください。ところで、長年の読者の方はお気づきかと思いますが、ギリシアのこの風景ってどこかでご覧になったことがありませんか。チュニジアのシディブサイトにそっくりです。地中海をはさんで向こうとこっちだから、当然といえば当然なのかもしれませんが、とても興味深いです。でも、瀬戸内海をはさんで、広島と松山がそっくり・・・・なんて思ったことはありませんけどね。

バレたか・・・!

2009年07月02日 21:52

その日、ちゃーりーは夕方から東京へ出張のはずだった。また、その日は珍しく会議も来客の予定もない一日だった。そこで、心やさしい秘書は朝の打ち合わせの際に

「今日は何も予定がないし、早めに東京に行かれたらいかがですか。」

と、スケジュールの変更を提案した。すると

「さっさと追い出そうとして。『はよ出かけろ』って言うんやな」

と、切り替えされた。

ちっ、バレたか・・・。

専属医

2009年06月29日 21:42

マイケルジャクソン死亡の記事に必ず出てくる「専属医」。

あのう、専属医ってなんでしょう?

主治医ではなく、専属医って?

この言葉に胡散臭さが集約されているような。

ネット依存症

2009年06月29日 21:24

ネット依存症・・・・・それは私。

海外でもホテルに泊まってまずチェックするのはビジネスセンター。べつに仕事をしているわけではないのだけど、メールのチェックをしないと落ち着かない。

とにかく、だらだらネットサーフィンや、ブログの閲覧、自分のブログを書いてみたり、ユーチューブで遊んでみたりとネットなしでは生活できない。この時間を何か有効利用できれば、もっといい人間になれるのではないか、と思う。

さて、そういうことを考えているのは私だけではなかったようで、SPA!に「脱ネット生活に耐える」という企画があった。編集者がネットをつかわない生活を1週間試みるというものだった。

この記事を読んでみて、やはりネットをしないと時間が有効活用できるのね、改めて思った。よし、わたしも、ノーネット生活は無理だけど、エコネットぐらいをしてみよう、と意気込んだ。

うってつけの本も紹介してある。「ウェブはバカと暇人のもの」あら、それって私。でも、とにかく読んでみよう。そして、ネットのだらだら時間をなくし、有意義な毎日を過そう!

さっそく、PCを開いてamazonで本を注文した。そして、「あわせてこんな商品も・・・」もチェックした。それから芋づる式にズルズル。

・・・わたし、ぜんぜん、分かってない。



マイケル・ジャクソン

2009年06月28日 11:56

マイケル・ジャクソンが亡くなったことについては、すでにニュースでもとりあげられている。友達のブログでもよく書いてあるので、私なんかが今さらと思うが、日記なので私も記録します。

まず、スリラーは知っているけど、音楽事情にはとんと疎かったわたし。だから、あんまりマイケルジャクソンに思いいれはないかなあ。

50歳ということで、若いなあ、と思った。そして、未だに死因は不明で、いっしょに住んでいた医師がアヤシイとのこと。

失礼ながら、世界のトップスターらしくていいのではないでしょうか、という気すらした。

子供のころからトップスターで、孤独で気の毒な人だった、とかなんとか言われているけど、それは有名税みたいなもので仕方がないのではないだろうか。

美輪明宏なんかも言っているけど、人生の「正負の法則」というのがあって、人と比べるのではなく、自分の「恵まれていること」と「恵まれていないこと」を量ると、バランスがいいようにできているとか。

例えば、経済的には困っていないけど、人間関係が複雑だ、とか。美貌に恵まれているけれど、不幸が襲ってくる、とか。

私はこの手の話は、全面的に信用するわけではない。だって、どうみても恵まれ過ぎている人っているし、不幸過ぎる人もいると思うから(わたしがまだ未熟だからか?)。

それはさておき、ひとつの時代が去ったようなさみしさを感じた。

ご冥福をお祈りします。





西原理恵子@NHK深夜便

2009年06月28日 11:24

高須先生のブログより、西原理恵子さんがNHKの深夜便に出演するということを知った。

うっかり忘れかけていたが、11時すぎにラジオをつける。NHKの深夜便は聴いたことがない。初めて聴く。

おもしろいことに、前半は二人の会話がかみあっていなかった。柴田さばかり「〜ですよね、〜ですよね」としゃべる。せっかく西原さんがのってきたと思ったら、話題をかえる。柴田、あんたはしゃべらなくてもいいから、西原さんをしゃべらせて、って感じ。

放送禁止用語の連発で(ポリ=警察、バクチ、などなど)、柴田さんもしゃべらせたくなかったのだろうか。

休憩をはさんで、後半。

「さっき、(放送禁止用語を遣うなと)注意されました〜」

そりゃ、そうだろう。

「じゃあ、アタシを呼ぶな」

まったくそのとおり。彼女には彼女のスタイルがある。

後半はアルコール依存症の話題で、すでに肝臓がんで亡くなった元夫の話だった。このあたりをNHK的には語ってほしかったのだろう。

西原さんの直球の飾らない話や生き方が好き。西原さんは一応「無頼派」でとおっている。勝間和代さんはもっとアカデミックな感じだけど、言っていることは二人とも同じだと思う。

西原さんは高知県の貧しい漁村の出身だ。そのあたりの生い立ちはまんがでよく書いてある。彼女は武蔵美大に進学した。

このあたりも、すごいというか、不思議だ。そんな田舎からポッとでてきた女の子が美大に合格しちゃうのだろうか。でも、きっとここのところで、絵が好きな田舎者から、日本のサイバラになってしまう、運とか力があったのではないかと思う。じゃあ、その違いはなんだろう。

NHK深夜便でも西原さんは言っていた。「人は生まれた環境を乗り越えることができるか」と。彼女は「乗り越えられる人もいるし、乗り越えられない人もいる」

西原さんはいつも社会の底辺(貧困とかアル中)を向いている。ご本人は、育ちがよく裕福な人を小ばかにするきらいがあるのだけど、すでにご本人の子供はが育ちがよく裕福な家庭に育っていることに気がついているのだろうか。

ラジオって想像力がふくらむからいいな。映像にごまかされないっていうか。

西原さんの力強い生き方にとても勇気づけられる。

さあ、今日もがばろう!まず、部屋のそうじでも・・・。








母とのランチ

2009年06月27日 20:52

母を食事につれていった。

本当は父も誘っていたのだが、行かない、というので、二人ででかけた。

フンパツして、ホテルのフレンチ、フルコース。私は今日のために、夕べから体調を整えていた。朝食も果物とカフェオレだけにする。

実はフルコースって、食べきれない。お魚あたりでもうおなかいっぱいになっている。が、今日のテーマは母にフルコース、だったのでつきあう。

しかし、私にとってフルコースをいただくというのは、マラソンのようなもので、食べながらあと何品出てくるかを考えて、ペース配分をする。

母にもパンを食べすぎないように注意する。でも、これがよく食べるのなんのって。お魚(スズキ)はおいしかったが、つけあわせのマメは調整のために食べなかった。すると、母が「じゃあ、もったいないから私が食べる」と。

「お口直しのナントカ」も半分にしておく。ペース配分を考えてのことだ。

でも、最後のワゴンデザートにたどりついたころには、おなかいっぱい。でも、意地汚いので二種類ぐらいケーキをいただく。すると、ホテルの人は

「女性の方は8−9割ぐらいは、全種類(7種類)めしあがられますよ」

だって。本当かな。果たして本当だった。母は「じゃあ、私は全部を少しずつ」。お母さんだいじょうぶ?

そして、おいしくいただいて、そのあとは港をブラブラしたり、南京町にでかけた。

夕飯作るの面倒くさいし、もうおなかいっぱいだしあまり夕食は食べないだろうなあ、と意見が一致して、父にギョーザを買って帰った。ごはんはお冷ごはん。やさしい妻と娘である。今度はお父さんも行こうね。



マニフェスト:キレイになる

2009年06月24日 23:19

今年のマニフェストのひとつに「きれいになる」というのがあった。

マニフェストといっても、ルーシーのマニフェストである。

そして、2009年も半分が過ぎ、ふりかえってみた。果たしてマニフェストは実行されたのだろうか。本人はかなり努力したようだが、結果はちゃーりーのこの言葉が証明している。

まじめに打ち合わせをしているときのこと。

「それよりも、その髪型なんとかしたら?」

言われてしまった。長い間、髪を切りにいってないし、ボサボサときたもんだ。反論の余地がない。

「『きれいになる』とかさ、無駄じゃない?そもそも、ルーシーにそういうこと期待してないし・・・」

くーっ!

それ、どういう意味ですか・・・。思わず、詰問してしまう。

「いや、セクハラになるから言わへんけど」

すでに、セクハラの領域に踏み込んでおられますが。

そういえば、先日、こんんあ発言があった。

「○○先生とこの秘書のAさんってしっかりされているんですよねー。あそこは秘書課は二人おられるみたいで、Bさんのほうは、まあなんていうか、アレですけど・・・。」

「Bさんは、若くてきれいなだけやな」

「お会いしたことないから分かりませんが、声は若そうな感じ」

「それ、ええなあ。二人秘書がいて、ひとりは鑑賞用、もう一人は実務用ってさあ」

「・・・・・私はどっちでしょうねえ」

「んなもん、決まっとうやろ」

どっちに決まっているのか、恐くてきけなかった。どっちと言われてもそれなりにショックである。


50歳からの恋

2009年06月23日 20:49

日経新聞の連載小説。ナントカ上海。

みなさん、お読みでしょうか。

渡辺淳一の女性版のような小説ですが、私は消化不良を起こしています。

主人公の紅子さん、51歳(だったかな)に感情移入ができないし、京(38歳か)との恋の進行具合もいまひとつピンとこない。

二人の恋を理解するためには、まだ人生経験が浅いのだろうか。

そもそも、どうして二人は傷つけあいながら愛を求め合うのか。お互いに独身だし、紅子さんが大黒柱なら、京は主夫になり紅子さんのお世話をすればいいと思うけど。「傷つけあいながら愛し合う」は文学のひとつのテーマだと思うので、これはこれでいいのかもしれない。

最初、紅子さんが京をお金で買った。これからもその関係が続く。それでいいじゃない。なのに、二人とも今の関係に行き詰っていて、行き詰った挙句、上海の一流ホテルのスイートルームで、結局セックスしてしまう。あれ、問題はそこだったの。しかし、それで、問題は解決するのか、と問いたい。

その前哨戦としてレストランで、チャイナドレスを着た紅子さんがパンツを脱がされて、そのパンツをワイングラスにつっこんだり、花の上に飾ってみたり、においをかいでみたり・・・。そういうプレイですか、とつっこみたくなったが、そうではなくって、関係にいきづまった男女の成れの果てというか。つまり、二人は共依存なのね、と思ってしまう。

そういうことはおいといて、これを読みながら私は何を考えていたかというと・・・。

私ならレストランではパンツは脱がない。多分たいていの人がそうだと思うけど。そもそも、ゴムが切れそうなよれよれのパンツを人様には見せられない。きっと、紅子さんは、勝負下着、シルクの素敵なパンツだったのだろう。

それにしても、である。セックスって人生にとってそんなに大切なものなのだろうか。人類の繁栄のためには必要だけど、それはおいておくとする。で、世の中には競馬が全てという人もいるわけだから、セックスが全てという人がいてもいいのかもしれない。でも、競馬が全てという人よりは、セックスが全てというほうが人生が深遠な気もする。だから、小説の題材になるのかもしれない。

ところで、今日は百貨店に寄ってレースのきれいなパンツを買ってみた。なんでこんなものを買ったのだろうと不思議に思ったけど、きっと紅子さんの影響に違いない。でも、レストランでは脱がないぞ。





作家 宮本輝

2009年06月23日 20:30

「青が散る」ぐらいから、宮本輝の作品が好きだ。ひたすら読んでいた時期があったが。今はちょっと遠ざかっているかな。でも、いちばん好きな作家だ。

さて、今日は珍しく早く帰って、ぼんやりとテレビを眺めていた。

すると、なんと宮本輝がでているではないか!新作のプロモーションのようだったが、それでも動いている宮本氏を見るのは久しぶり・・・といういか、初めてかも。

珍しいなあ。

こんな時間にテレビをみることなんてないのに、宮本氏を見つけるなんて。

早く帰ってよかった(涙)。

でも、惜しいことに編集がむちゃくちゃ下手。もっと彼の話をきちんと引き出して、聞かせてほしかった。あまりにもお粗末なので消化不良を起こしてしまったよ。

でも、宮本氏をみていて、業界のT先生を思い出した。T先生は親子でいらっしゃるので、TパパとかTジュニアと呼ばれていたりするのだが、私はTパパ先生のファンである。

Tパパはスラリとしたすてきな方だが、なんといってもそのユーモアに富んだ会話やウイットのきいた文章に洗練された知性を感じる。

しぶいなあ、と業界紙に掲載されるTパパの文章を読むたびにうなっていた。

そして、今日、宮本氏を拝見して驚いた。Tパパと風貌がとてもよく似ている。

そういうことか。わたしはどこかでTパパに憧れの宮本氏を重ねていたのかもしれない。




きらっと生きる

2009年06月21日 21:22

きらっと生きる

NHKの元気に生きる障害がある人を紹介する番組だ。

今週はアルコール依存症から立ち直りつつある人の特集だった。

三人の男性が出演されていた。二人は2年間ほど飲んでいない、一人はまだときどき飲むことはあるけどなんとかがんばっている人、ということだった。

私はてっきり、アルコール依存症を克服した二人の男性がメインかと思ったら、実は「つい先日も飲んでしまった」というヤマサキさんという人が主人公だった。

ヤマサキさんは、他の二人、NPO法人の職員、司会者がたばになってもかなわないほどの存在感であった。番組の作り方としては、あざとくて、本来の番組の趣旨と外れたような気もするが、いいドキュメンタリーだったと思う。

多少記憶違いもあるかもしれないが、ヤマサキさんはあいりん地区に住む60代の男性。生活保護を受けていて、なんとか依存症を克服しようとしている。

一週間に1回ヘルパーの女性(仮にカワグチさん)が来るのを楽しみにしている。シラフでカワグチさんに会いたいがために、必死で眠れない夜を水を飲みながら過す。それでも夜は長いので、夜間中学校に通う。夜間中学で書いた書き取りをカワグチさんに見てもらう。カワグチさんになんとか恋心を伝えようとするが、いい言葉が出てこない。ヤマサキさんもこの恋が片思いであることは知っている。

こういう話だが、ヤマサキさんのはじらいを含んだ表情や、夜間中学に通う姿が胸を打つ。カワグチさんの訪問の前には部屋を片付けたりもする。

恋は遠い日の花火ではない。老若男女、古今東西を問わず、恋に落ちるときは落ちるものなのだ。

というわけで、アルコール依存症の克服というテーマからは外れていたと思う。

ヤマサキさんが恋のために、依存を克服しようとする、そのモチベーションは悪くないと思う。では、その恋を失ったときはどうなるだろうか。

恋は生きる原動力になる。そのことはよーーーく知っている、つもり。でも、その恋をなくすと、人生が終わったかと思うのも事実。そうでしょう?

でも、このヤマサキさんっていう人は若いころは相当男前だったと思う。今のままでもいい俳優さん、といっても通じるぐらいの渋みがあった。

ヤマサキさん、もし、その恋がかなわなかったとしても、やけをおこさないでくださいね。そして、夜間中学にも通い続けてください。そんなことを願わずにはいられなかった。






男性合唱団

2009年06月21日 20:42

だまされて、男性合唱団を聴きにいく。

数週間前にクレーン氏が「6月21日、ヒマ?あけといて」と言っていた。すっかりそのことは忘れていたのだが、数日前にハタと思い出した。

あけていたわけではないが、空いていた。

「6月21日にナントカって言ってたけど、何があるんやったけ?」

と電話をすると、「もう〜〜。言ったやろ?」と言われて、重ねてたずねるのも気がひけたので、それ以上はきかなかった。

そして、当日、ミステリートレイン状態。

「で、今日何があるんやったけ?」

「グリー」

ああ、そうだ、そうだ。そんなことを言ってたよね。この瞬間、ヤラレタ、と思った。

クレーン氏は学生時代はグリークラブだったのだ。トップテナーだったとよく自慢していた。無理やり当時のテープを聴かされたこともある。

グリーを生で聴くのは初めてだ。今日のコンサートはK学院大学グリークラブのOB会のようなものだった。クレーン氏曰く「悪くない」そうだ。確かにカルテットもひとついいのがあった。

しかし、歌うほうも聴衆も年齢層が高く、会場にはそこはかとなくオヤジっぽさが漂っていた。いいんですけどね、わたしだってオヤジだから。

会場の紳士たちは、皆、総じて姿勢がよく、髪の毛もある(因果関係があるのか?)。ヘアスタイルはシチサンの上品そうな人たちが多かったように思う。

クレーン氏も秘かに歌いたいそうだが、K学院大学OBではないので肩身が狭くなりそうだと言っていた。

ハッピーサタデー

2009年06月20日 20:54

私は日曜日より土曜日のほうが好きだ。

朝、目が覚めて「今日は土曜日だ」と布団の中で幸せをかみしめる。「まだ、明日も朝寝坊できる」

今日は友達とランチを食べた。

久しぶりに会ったので、つもる話もあり個室をとった。

社会の不正や不合理について、二人で大いに雄たけびをあげた。

あー、すっきりした。個室でよかった。

気兼ねなくおしゃべりできるという点でもそうだが、人がいると私は人物観察に忙しく、目の前の人との話がうわの空になることがある。よって本当に話に集中するためには個室とか、誰もいない砂漠がいいかもしれない。

このあとは二人でコーヒーを飲みにいった。

目の前には、お見合いのランチのあとのコーヒーとおぼしき35歳前後の男性と女性がいる。

うーー、なんて、観察するにはもってこいの人たちなんだ!

彼女とおしゃべりをしつつ、二人を観察する。女性はおしゃれはしているけど、地味で性格はきつそう。男性はカジュアルな感じで、自分の仕事を自慢ている(眼科医?)。

女性は一方的に男性が話すのを笑顔であいづちを打っているが、明らかにうんざりしている。ふとした瞬間に、すごくウンザリとした表情を見せる。

このカップルは成立しないな、と勝手に心配する。

っていうことは、万が一、わたしがお見合いをすると、こうやって観察して、あれこれ値踏みされることになるのだろうなあ。いやだなあ。

って、いったい何を心配しているんだか。



究極のだめんず 太宰治

2009年06月19日 23:35

今日は、太宰治の100回目の誕生日である。

そういうわけで、テレビや新聞も太宰をとりあげていた。

しかし、こうして改めて彼の一生をみてみると、だめんず、としか言いようがないように思う。


ヤク中
自殺未遂
働かない
ヒモ
浮気性
夢追い人
イケメン(もしかして)

いやあ、すごいです。だめんずの要素がすべてつまっています。

奥さんは太宰の小説にほれた、というようなことが書かれていたが、これぞ、だめんずの典型でしょう。彼の才能にほれた、とかなんとか。

しかも愛人と「死のう」などと言っているときに、別の愛人が出産。もう、ムチャクチャです。

私が読んだのは斜陽と走れメロスだったと思う。どちらもあまり印象にも残っておらず「しんきくさい話やったなあ」というのが正直な感想です。

それよりも印象に残っているのは、山崎富栄さんの日記だ。そう、太宰と自殺を遂げた女性である。この人も才媛、インテリである。この人の日記を読むと、また別の側面から太宰という人が見えてくる。

愛人との情死というのはやはり当時もじゅうぶんスキャンダラスだったようだ。二人の遺体が見つかり、太宰は手厚く葬られ、山崎さんの遺体は無残に放り出されたあった、というようなことが書いてあった。

山崎さんは山崎さんで言い分もあろう。でも、だめんずを愛しちゃったよね。

今までは、山崎さんは「男を見る目がなかったかわいそうな人」と思っていたが、そうではないかもしれない。他人の幸、不幸を決める権利はだれにもない。

好きな人と死ぬまで添い遂げた幸せな人、という見方もるかなとも思える。




仕事はねばる・・・わらしべ長者

2009年06月19日 21:57

仕事で、アジアの発展途上国にツナギをつけないといけないことになった。

とはいえ、一筋縄ではいかないのは目に見えている。しかもコネも何もない。

そこで、かの国に駐在している日本人のAさんに、なんとか病院にツナギをつけてもらうように頼んだ。Aさんは国際協力の実地指導兼研究をしている。医療分野はAさんにとっては畑違いだが、親切なAさんはすぐにいろいろと調べてくれた。さっそく彼女は現地の厚労省の担当者を紹介してくれた。

彼女が紹介してくれた人が right person ではないが、たどっていけばそのうち、会いたい人に会えるだろうと思っている。

さっそくファクスを送る。しかし、ちっとも送れない。おかしい。しつこく、しつこく繰り返したのでイライラしてきた。あきらめてEMSで送ろうとしたころに、やっと送信できた。

では、次は電話だ。通じたが、録音テープが現地語で何かしゃべっている。さすがに分からん。すると、すぐに英語が流れた。

「ただいま、お昼休みなのでのちほどおかけなおしください」

さすが暑い国の役人は働かんわ。

それから数十分後にかけなおすが、まだ昼休みだ。さらに数十分後にかけなおすが、それでも昼休みだ。

いつまで休んでいるんだ!

さすがにいらいらしてきた。

それから数時間後に電話をかけたらやっと通じた。

と思ったのはつかの間、電話に出た人は英語が話せなかった。何人かたらいまわしにされた挙句、「別の番号におかけなおしください」と言われた。それ以外にも英語で何か言われたがききとれなかった。

仕方がないので別の番号をきいて、祈るような気持ちでその番号にかけた。

女性が電話にでる。おお、英語が通じるじゃないか!

そして、ファクスを送ったので、ダイレクターにお渡しください、とお願いした。彼女はしっかりしていて、私のメールアドレスと電話番号をきいてくれた。

そしてその数十分後、メールが届いていた。

「ダイレクターにファクスをお渡ししました」

おおっ!

かなり感動した。達成感を感じたといってもいい。

そして、くだんの友達にお礼のメールをした。

「ありがとうございました。おかげさまで第一関門を突破しました。」

すると、すぐに返事が届いた。

「こちらの行政の方は本当に仕事ができないので、第二、第三関門が
あることと予測しています」

そうか・・・・。





退職

2009年06月18日 21:04

長年、ちゃーりー病院にお勤めになった農耕指導の方が退職されることになった。

Yさん、82歳。

プロの農家の方で、人柄もよく職員や患者さんからも慕われている。

今日、ごあいさつに行って、初めてYさんと会話らしい会話をかわした。いつもYさんとはあいさつを交わす程度。よく自家製のお花を持ってきてくださるが「ほれ」と押付け、だまって去っていかれるのでお礼を言うだけで精一杯である。

Yさんがおっしゃった。「40年勤めた。無遅刻、無欠勤、風邪ひとつひいたことがない」とのことだ。すごいなー。家は4世代同居。ご夫婦と、息子さん夫婦とお孫さん夫婦とひ孫が二人。

そんな話をしていると、患者さんも加わってこられた。

「ワシも入院して40年」

そうかーーー。

もうひとりの人は25年だという。

その歳月の長さを改めて思う。

ところで、昨今の政策から、精神科病院(最近は精神「科」とするのがならい。精神病院、よりもイメージがマイルドになるから?)は悪者にされている。あたかも、社会復帰できる患者さんを無理やりとじこめているような報道の仕方をマスコミはしてくれる。

しかし、症状が落ち着いたとはいえ社会復帰は難しい人は多い。まず、受け入れてくれる家族がいない、または家族がいても受け入れてくれない。

じゃあ、どうすればいいのか。

それでも退院させる?

そして、自立できなかったら「病院による虐待」と報道するのだろうか。自立できない患者さんを病院からほうりだしてどうせよというのか。

ところが一方で、障害や殺人事件を起こした容疑者に精神科通院歴があると、凶悪犯を野放しにした精神病院が悪い、となる。

どないせえっちゅうねん。マスコミ。

日本に限らず、精神科は国情や政治に翻弄されてきた。そしてきっとこれからも。それは仕方がない、とは言わないが、ペンという力を持つマスコミには品と良識のある行動を求めたい。













大豆生田実

2009年06月17日 22:53

大豆生田実

だいずと田んぼがどうした・・・という話ではなく、これ、人の名前です。ファミリーネームとファーストネームです。足利市長のお名前です。

読めますか。

わたしはさっぱり見当がつかない。そもそも、どこまでが苗字でどこまでが名前?

ダイズイクタミノル?

オオマメキ テンジツ?

いろいろ考えたが、お手上げ。

そこでネットで調べる。インターネットってホント便利ですね。

「おおまみうだ みのる」

とお読みするそうです。

なるほどねえ。

そして、「ルーシーの日記」を書くにあたって、試しに「おおまみうだ」と入力して変換した。すると、あら、不思議。驚いたことに「大豆生田」と変換されるではないか!

もしかしたら、足利市では有名な苗字なのだろうか。

ちなみに、大豆生田市長のブログには「大豆生田 みのる」と書いてあった。しかし、「おおまみうだ 実」のほうが有権者に分かりやすいのではないだろうかと思った。

ああ、平凡な名前でよかった。





おばあちゃんになる

2009年06月16日 21:31

今日はある看護師さんの送別会だった。すでに定年退職された元看護師さんもこられて、楽しいひとときを過した。

すると、ある人が「私、おばあちゃんなんや」という。

え?

耳を疑った。

そういえば、お嬢さんがおられたけど、まだ20歳そこそこのはず。いつのまに結婚されたのだろう。その人もまだ50歳にもなっていないはず。

私の生物時計が遅すぎるだけで、普通に人生を歩んでいたら、50歳ならおばあちゃんになっても不思議ではないなあ。

すると、もう一人の人も「もうすぐ孫ができる」と言う。

え?

同じく、お嬢さんがおられたけど、もうそんな歳だったのか。

と驚いた。

別の人が

「ルーシーは早く、子供つくりよ!」

って励ましてくださったが、そもそもその励ましは正しいのだろうか。やはり子供の前に結婚しないと、と言うと

「私も○○さんも、できちゃった、やし、そんなん関係ないって!」

と、さらに励ましてくださった。

まあ、考えてみるか。

玉岡かおるさんの講演会

2009年06月15日 21:26

先日、玉岡かおるさんの講演会に出かけた。本すら読んだことはないのだが、とてもおもしろかった。

しかし、より興味深かったのは別にある。

講演会の余興でバイオリンのコンサートがあった。詳しいことは分からないが、演奏する人は、プロのバイオリニストではなく、本業は医者であるという女性だった。

さて、まず講演会に先立ち、有識者の方のごあいさつがあった。もちろん、バイオリンの紹介もある。
貫禄のある年配の男性が壇上に立つ。

「えー・・・・天は二物を与えずと申しますが・・・・」

とほほ、やっぱりこうきたか。これだけきいて、私はあとに続く言葉が分かった。

「天は二物を与えずともうしますが、○○さんはきれいなお嬢さんで、バイオリンもお上手で、お医者様で・・・」

と続く。やっぱりね。必死で女性を持ち上げようとしているのは分かった。しかし、「きれいな」「お嬢さん」と言ってしまった段階で、力が抜けた。

続いて、もう一人あいさつがあった。今度は女性である。

「○○さんは、お医者様でバイオリニストでもいらっしゃる・・・」

という紹介であった。普通でしょう。

最後は玉岡かおるさんが、講演のなかでさりげなく、バイオリンのことにふれられた。

「・・・医師とバイオリニストという二足のわらじをはいて・・・」

さすが作家!うまい!思わずうなった。

というふうに、ひとつの現象に対して3人の方がコメントをされたわけだが、それぞれの立場がよく分かり非常に興味深いできごとであった。

そもそも、公の場で女性の容姿をあげつらうのはとても失礼なことである。たとえ誉め言葉であっても、だ。ついでに言っておくと、「○○さんは△△としてご活躍されるかたわら、内助の功を・・・」。ね。これもダメ。内助の功は関係ないっつーの。

ピンとこない方は例えばこう考えてほしい。

今からピアノを弾こうとしている男性医師を紹介するのに「○○先生はピアノが上手でとてもお金持ちで・・・」と紹介するだろうか。

女性の魅力が美しさで、男性の魅力が財力・・・という考え方には半分賛成で、半分反対だ。でも、いろんな場面で女性の役割を男性におきなおしてみると、ジェンダーロールがいかにナンセンスなものかお分かりいただけるのではないかと思う。

ちなみに、この講演会の主催は「女性医師の会」でした。


助けて! という能力

2009年06月13日 10:02

職場の精神保健福祉士(ソーシャルワーカー)の人と話していて、なるほど、と思うことがあった。

彼女が言うには

「『助けて』と言って、援助を求めることができるのも才能のひとつ」

という。「つらいの」「分からない」「教えて」と言って、まわりに助けを求めるのは、弱いのではなく、能力だという。

なんでもかんでもまわりをアテにするのは論外であろうけど、そのあたりを見極めて助けを請うというのは能力だということである。

例えば、なんでもかんでも仕事を引き受けて、結局収集がつかなくなる人がいる。そうなると、本人もつらいし、まわりも迷惑だ。そういうときに、自分の状況を理解してもらい、これ以上はできない、と断るのはとても正しいこと。

また、仕事を引き受けたあとで、その仕事をなんとかこなしてはみたものの、文句を言う人。これもあまりほめられたものではないと思う。

そんなことをつらつらと考えていると、助けを求める能力というのが、いかに大切かということがわかる。

まわりをみわたしてみても、本当に仕事ができる人というのはつまりは、助けを求めることができる人、助けを求めたときに応じる人がいてくれる人なのかもしれないと思った。

上手に、迷惑をかけないように、助けを求めることができる人になりたいなあ。


降れば土砂降り

2009年06月10日 21:52

昨日と今日のブログの閲覧数が60ほどありました。驚きました。どうしてでしょう。いつも20−30ぐらいなのですが。

「降れば土砂降り」

といっても、雨のことではなくお好み焼きのこと。

お好み焼きを食べに行くにのは年に1回あるかないかというぐらいだけど、昨日友達と仕事の帰りに食べに行った。

いつもは隣のスタバなのだけど、よく考えるとおなかすいている。ほんとうは、お好み焼きというよりはもう少しこじゃれたところのほうがいい。でも、二人の通勤路と交通手段を考えると、ほとんど選択肢はなく、そこのお好み焼き屋さんに決定。

でも、彼女と会うときはお好み焼きだろうとカレーだろうとフレンチだろうと、お店はぜんぜん問題ではない。目的は会っていない間のお互いの近況報告(だめんず報告)だ。そういうわけなので、コーヒーぐらいでもじゅうぶん2ー3時間は持つ。

そして、今日は友達と仕事の帰りに、鉄板焼き風居酒屋で焼きそばを食べた。サラダと卵焼きも。

まあ、こういう日もあるのかなあ。

ところで、毎日読んでいるブログを紹介します。

○友達の育児日記
○YES 高須クリニック 高須克弥
○銭の花はどこに咲く 西原理恵子
○叶姉妹
○神田うの
○勝間勝代
○なけださない 鎌田實
○林真理子
○mixi

・・・というところだろうか。

でも、好みが似てくるというか、西原さん=高須先生はお友達、、、と思ったら、今日のブログに西原さんと勝間さんが写真に写っていました。また、勝間さんのブログでは写真に林真理子が写っていた。神田うのと林真理子も仲がいいみたいだし。うーん、友達の友達は友達じゃないけれど、ブログの傾向まで似ているのかなあ。

あれ、林真理子と神田うのはどうして呼び捨てにしたのだろう。




レトロな掃除

2009年06月07日 20:36

週末には部屋の掃除をする。

そして、毎週思う。今週こそは掃除機を買おうと。

もちろん1階には掃除機がある。が、2階に持ってあがるのが面倒くさいので、2階の押入れにいれているほうきと雑巾とはたきで掃除を済ませる。ちなみにはたきは手作りだ。

ついでに言うと、玄関を掃除するときは、湿った新聞紙をまいてから掃き掃除をするし、ガラスを磨くときはやはりぬれた新聞だ。台所の三角コーナーには新聞を小さく折りたたんで敷いている。下駄箱にも古新聞をしいているし、くつには新聞を丸めてつっこんでいる。

新聞バンザイ!人目につくかもしれないときは、英字新聞にするという配慮も怠らない。

それにしても掃除機があればもっと簡単に掃除ができるのに・・・・。

と毎週思うが、2階まで持って上がる手間に負けて、ほうきと雑巾で掃除をしている。掃除機を持ってあがる手間と、バケツを用意する手間だと、いったいどっちが手間なのか分からないと思うのだが、今週もほうきと雑巾でそうじをした。

やはり掃除機のほうが便利なんだろうなあ。来週こそは買おうかなあ。

ところで、私はヘアブラシではなくつげの櫛を愛用している。家にひとつと化粧ポーチにひとつ。
ブラシよりも感触がいいのでとても気にいっている。

しかし、さすがに汚れてくるのでお手入れをしなくてはいけない。お手入れは椿油に浸すそうであるが、椿油を手にいれるのは面倒なので、オリーブオイルで代用する。植物性のオイルだといいらしい。

先日、オリーブオイルに一昼夜浸した。布でふきあげるときれいなあめ色になった。うれしい。

そういうわけで、部屋にテレビはないし、掃除機もないし。けっこう古い人間であると思う。まあいいかな。



秋葉原の事件

2009年06月07日 20:25

秋葉原の事件から一年がたった。

新聞のコラムでそのことがとりあげられていた。この事件では「心の闇」「格差社会」「勝ち組」など、いろんなキイワードがあったが、そのコラムニストは「追いつめられたからといって無差別殺人に走る精神状態がわからない」と述べていた。その言葉を読んで、きっとこのコラムニストはこれまで他人に虐げられることもなく。幸せな人生を送ってきたのだろうと思った。

精神鑑定の結果がどうなのか知らないし、責任能力があるのかどうかも分からない。でも、私は犯人の気持ちが分かるような気がする。

追いつめられて、行き場をなくし、未来に希望がもてなかった。奈良県の中学生の事件や中央大学の教授が殺された事件でも、犯人の気持ちはどこかしらそういうものがあったのではないかと思う。

だからと言って決して許されることではない。

でも、私はいつも思う。あなたのしたことは悪い。絶対に。許されることではない。でも、あなたの気持ちは少しだけかもしれないけど分かるような気がする。私だって追いつめられる。つらい。苦しい。逃げ出したい。でも、なんとか事件を起こさずに毎日を暮らしている。多分みんなそうじゃないかなあ。私たちは狂気と隣り合わせで生きている。そして、幸運にも事件を起こさないで暮らすことができているだけではないかと。


「命の器」

2009年06月06日 12:32

好きなエッセイといえばこれしかない。

宮本輝著「命の器」 講談社文庫

これはエッセイ集なのだけど、そのなかの「命の器」と名づけられた出会いについてのこの短編を読むと、いつもしみじみとした気持ちになる。

_______________

運の悪い人は、運の悪い人と出会ってつながっていく。

やくざのもとにはやくざが集まり、へんくつな人はへんくつな人と親しんでいく。

心根の清らかな人は心根の清らかな人と、山師は山師と出会い、
そしてつながっていく。

じつに不思議なことだと思う。”類は友を呼ぶ”ということわざが含んでいるものより、もっと奥深い法則が、人と人との出会いをつくりだしているとしか思えない。

(中略)

それは事業家にもいえる。

伸びて行く人は、たとえどんなに仲がよくとも、
知らず知らずのうちに落ちて行く人と疎遠になり、いつのまにか、自分と同じ
伸びて行く人とまじわっていく。

不思議としか言いようがない。

企んでそうなるのではなく、知らぬ間に、そのようになってしまうのである。抗っても抗っても、自分という人間の核を成すものを共有している人間としか結びついていかない。

その恐さ、その不思議さ。

私は最近、やっとこの人間世界に存在する数ある法則の中のひとつに気づいた。

「出会い」とは、決して偶然ではないのだ。

でなければどうして「出会い」が、
ひとりの人間の転機と成り得よう。

私の言うことが嘘だと思う人は、自分という人間を

徹底的に分析し、自分の妻を、あるいは自分の友人を、徹底的に分析してみるといい。

「出会い」が断じて偶然ではなかったことに気づくだろう。

_________________________

いつ読んでも心にしみる。

が、最近こんなことも考える。

じゃあ、運のいい人、悪い人と、心根の清らかな人とそうでない人は、どこで決まるのだろうと。

日和見主義

2009年06月05日 22:44

逮捕されてから17年後に釈放って・・・。

あいにく事件のことは覚えていない。だから、今回の記事で読んだだけだけど、マスコミはほんとうに日和見主義だと思う。おそらく当時は「こいつしか犯人はいない」ぐらいの勢いで記事を書いていたに違いない。しかし、いったん釈放されると今度、その矛先は警察や検察に向けられる。

「それでもぼくはやっていない」「誰を幸せにするための捜査ですか」を思い出す。

冤罪なんて他人事だと思っていたけど、そうではないのかもしれない。

でもね、少しスピリチュアル、宗教系になるけれど、どうして幸せな人、不幸な人がいるのだろうと思う。誤認逮捕をされた人がいるということは、逃げ続けている真犯人がいるということ。

因果応報という言葉がある。自分のしたことは自分に返ってくるとか。

例えば、人をだましたら今度は自分がだまされるとか、浮気をしたら次は自分が浮気をされるとか。じゃあ、私はたずねたい。最初にだまされた人は以前に誰かをだまされていたのか。浮気をされた人は、以前、浮気をしていたのか、と。

因果応報って本当にそうなのかなあ。道徳的に都合のいい言葉だとは思うけど、腑に落ちないところもある。

と、ネットで記事を読んでいると、その隣には「南アフリカのズマ大統領には3人のファーストレディ」という記事があった。大統領はイギリスの新聞のインタビューでこんなことを言ったらしい。

「妻は1人だと言いながら、愛人や隠し子を持つ人がいる(のは偽善)。私は、妻たちを誇りに思っている」

ううむ。これを詭弁と呼ぶのか、開き直りと呼ぶのか、文化の違いと呼ぶのか、考えるところである。

でも、これぐらいイケシャアシャアと言える人のほうがいいじゃない、とも思う。そういえば、ゴシップといえばイタリアの首相はどうなったのだろう。



ATMで

2009年06月04日 21:50

銀行のATMでお金をおろした。ATMは親切なので「ゲンキンノオトリワスレニゴチュウイクダサイ」と注意を喚起してくれる。

今日も「ゲンキンのオトリワスレニ・・・・」と注意をしてくれた。でも、わたしはこの甲高い声がすきではない。機嫌も悪かったので

「お金を取り忘れるわけないでしょ。あほ」

と心の中でつぶやいた。

そして、銀行をあとにして車に乗り込み、発車させようとしたとき行員さんが走り寄ってきた。

「お客様、通帳とカードをお忘れではありませんか」

あーーーーーっ、お忘れです・・・・。それは私の通帳です。

そう、私はお金は忘れなかったが、通帳とカードを忘れていた。

自信なくすなあ、もう。

お金にかえられないもの

2009年05月31日 11:27

静かな日曜日の午前中、遅めの朝食をとりながらテレビをつける。

あまりテレビの番組覧は見ずに、適当にチャンネルザッピングをする。今朝も「グッと!地球便」にいきあたった。

そういえば、先週もみたなー。先週はマレーシアで活躍するお寿司屋さんだった。今週はアルゼンチンで活躍するチャランゴ奏者だ。

この「グッと!地球便」が「乾杯・・・・」とか「・・・」という、海外で活躍(生活)する日本人特集と一線を画しているのは、日本にあるしがらみを前面に登場させるところだ。

先週のお寿司屋さんは、両親が離婚して中卒で料理の道にはいって苦労をして店を構えるようになった、ということだったし、今週のチャランゴ奏者は、父の反対を押し切って家をとびだしたその半年後にお父さんが亡くなって・・・という背景だった。

番組にケチをつけるつもりはないけれど、しがらみ部分で日本の肉親と現地で活躍する人を交互に写し、コメントを求める。はっきりいってお涙頂戴の番組だ。

が、これが、以外と現地の日本人は「ありがたいですね」「申し訳なく思っています」と淡々と述べるのだ。日本にいる肉親もわりとドライ。これ、きっと製作者としてはここで泣いて欲しかったんだろうなあと思う。

また、先週のマレーシアは、司会者のような人が現地に取材にいっていたけど、アルゼンチンには取材には行かなかったようだ。遠いもんねー。でも、インタビュイーが淡々と話すほうが説得力があって、落ち着いて画面をみることができた。

それにしても、チャランゴを演奏している彼女は日本人には見えなかった。ラテン系の人に見えた。それにちょっとした表情や仕草はもうすっかりアルゼンチン人。そりゃあ11年もいればそうよねえ、と妙に納得した。

彼女は「お金に変えられない充実感がある。豊かです」と言い切っていた。かっこいー。

旅番組をみて妄想をふくらませるのであった。






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